
野麦街道をいいペースで進んでいた田中。境峠には1日19時間11分で通過。しかしここから地獄が待っていた。
約1ヶ月半前に出場したアメリカの「プライマルクエスト」。これに田中はリベンジとチームの名を賭けてすべてをぶつけて戦った。そしてこのレースで受けたダメージで体の至る所に不調を訴え、帰国後は病院、整体、鍼灸などに通い詰めた。今回のTJARは完治しないままの出場だった。
今回は眠気も少なく、ペースを飛ばすことができた。しかしスタート時点から体に違和感があり、北アルプスは騙し騙し進んできた。足が重く、すでに神経すら麻痺し始め、着地が骨の髄まで響く。足をかばっていた為か、腰に負担がかかり、ついにはまっすぐに立っていられない。しかし前回の6日間2時間という記録を更新しなければならないというプレッシャーもあり、意地で19号線に出る。やがて体中の筋力が破壊されたように全ての力が喪失され、日義木曽駒の道の駅に着いたときには、ついに体が動かなくなった。
2日間4時間44分。日義木曽駒道の駅。田中正人リタイヤを決断。
中央アルプスの木曽駒ケ岳の目の前だった。
(写真:リタイヤを決断したときの田中正人)