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ジュン(平賀淳くん)を偲ぶ

ジュン(平賀淳くん)を偲ぶ

元イーストウインドのメンバーで山岳カメラマンの平賀淳くん(43)が、米アラスカ州のデナリ国立公園にある高峰ハンター山でクレバスに滑落し、永眠しました。
長きに渡り友好のあったジュンへ。

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ジュンがイーストウインドに来たのは19才の学生の時だった。
国体・山岳競技会場で選手に向けてメンバー募集のチラシを配ったら、山梨県代表選手だったジュンと、京都代表選手だった宮内佐季子が応募してきた。

その年は更に横山峰弘、駒井研二が応募してきて5人でカッパクラブに住み込んで1年間共同生活をしながらトレーニングを続けた。
夕食は当番制で作り、食材は山の中から取ってきたものもよく食べた。
適当な草や木の芽を取ってきて闇天ぷらしたり、ジュンが「大きいのを取ってきましたよ!」とほとんど繊維ばっかりの筍を皆で苦労して食べたのも良い思い出だ。

ジュンは本当にだらしがなくて、ミスが多く、同じ失敗を何度も繰り返していた。
レース中に僕が本気でぶん殴ったメンバーは今までで3人いるが、ジュンもその中の一人だ。
でも、本気でぶつかれる相手というのはそれだけ信頼関係があるということだ。
ジュンはいつも情熱に満たされていて冷めていることなんか一時もないような熱いヤツだった。
そして目的を持って生きていた。

イーストウインドに来たときは日本映画学校(現日本映画大学)の学生だったが、その時から山やレースの映像を撮りたいと言っていた。
エクアドル大会を取材してくれたNHKのディレクターに取り入り、卒業後は契約社員としてNHKに潜り込んだ。
その時の逸話として、アパートを引き払い住所不定でNHK局内で生活していたらしい。
ゴミ箱を漁って捨ててある企画書を読みまくったという話も聞いた。

生きることに貪欲だった。
いつも希望と情熱に満ちていて、自分のやりたいことに真っ直ぐ生きていたと思う。

そして、皆が知っているように彼はとてつもなく面白い。
喋り出したら止まらない。
バカ丸出し!バカと天才は紙一重というが、すでに神の領域に達したバカという感じだ。
だから人から愛される。
いつも自分の位置を底辺に持ってきて、人の懐に入るのが上手い。
どんなに失敗してもジュンなら許される。
絶対に憎めない。
そんな人って周りにいますか!?
僕の知る限りでは、ジュンとカッパクラブ先代社長の小橋研二くらいだ。

どうして大切な人ばかり先立ってしまうのだろう。
残された立場としては、彼らに負けない人生を送りたいと思う。
人生の帰路や辛くなった時に、ジュンなら小橋さんならどう考えてどういう行動を取るかな、とよく考える。
それだけでも希望が出てくる。

周りの人を明るく楽しくさせるアイデンティティは奇特だった。
自分はそうはなれないが、彼らを心に留めることで生きる力が湧いてくる。
これからもよろしくな、ジュン。

田中正人

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上下写真:2011 Patagonian Expedition Raceでイーストウインドを追うジュン。

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